賛美とまさゆきくん

私たちは、日常の中で歌を歌うことがあると思いますが、なぜ歌を歌うんでしょうか。嬉しい時、歌いたくなります。ストレス発散のために歌うことがあります。歌にはリラックス効果があると言われています。また誰かと一緒に歌うと重なり合う声が気持ちよくて歌う。自分の上手な歌声をみんなにきいてもらいたいから歌うなど、私たちが歌を歌う理由にはいろいろあると思います。

教会ではよく歌を歌います。とにかく賛美します。しかし、教会は、歌うことが気持ちいからとか、ストレス発散のためとか、歌がうまいから歌うということで歌っているのではありません。そこが一般的に言われる歌と賛美と違う点だと思います。では私たちはなぜ賛美はするんでしょうか。歌うんでしょうか。

私の知り合いにまさゆきくという後輩がいます。彼は小さいころから教会に行っていました。でも彼は教会でするあることが大嫌いでした。それはなにかというと「賛美すること」でした。教会は神様を礼拝する時に、ピアノやオルガンに合わせて賛美をしますが、彼の横にいても彼の声は絶対に聞こえません。いつも、むすっとした表情をして突っ立ってるんです。とにかく何があっても声を出しませんでした。

彼になんで歌わないのかって聞いてみると、まさゆきくんはこう言いました。「ぼくは音痴なんだ。歌えない自分が嫌で、馬鹿にされるのが嫌で、だから人前では絶対歌わない。」って言いました。確かに、彼はすごい音がとれない人でした。どうにかしてまさゆきくんの音痴を治してあげたいと思ってネットで調べいろいろ挑戦をしました。バケツかぶって歌ってみたり、チューナー使って音程を合わせてみたり、割り箸を口に入れて歌うと良いとあればそのようにしたり。とにかくいろんな方法を試しました。

結果、全然治らなかったんです。結論としては、絶対音感というものがあるように、まさゆきくんは絶対音痴なんじゃないかというところで音痴を治すことはやめました。まあ、歌わんくてもいんじゃないってそれからは彼の歌には干渉しなくなりました。

ある日、突然まさゆきくんはとても大きな声で賛美するようになりました。しかもたくさんの人の前で歌うこともありました。決して歌がうまくなったわけではないんです。前と変わらず、音程はずれずれです。

ですが彼の賛美する姿は輝いていました。ニコニコしながら笑顔で思いっきり歌っているんです。それで私がまさゆきくんに、どうして声を出して歌うようになったのか尋ねました。するとまさゆきくんは、こう言いました。「神様が自分といつも一緒にいてくれて、そして神様がこんな自分を愛してくれていることを知れたんです。確信が持てたんです。だから馬鹿にされても良いから神様のために歌いたい、神様を賛美したい。」

教会が、私たちが、どうして賛美するのか、神様に向かって歌うのか。それは神様が私たちを愛してくださっているからです。そのことを知ったからです。神様がその愛ゆえに私たちを救ってくださり、今もあわれんでくださり、助けてくださり、つらい時も悲しい時も、励ましてくださる素晴らしいお方。そしてこの先も豊かに祝福してくれるお方だからです。

このことを喜び、私たちは神様に、「ありがとうと」か、「嬉しい」ですとか、「神様はすばらしいお方です。」とか、その思いをメロディーにのせて神様に歌う。ほめたたえる。苦しい時でも神様に助けてくださいと祈りのように神様に語りかける。それが賛美です。

賛美は歌ですからクリスチャンであろうがなかろうができるのが良いところだと私は思います。でも、せっかく神様を賛美する歌を歌うなら、私たちがどんな言葉で神様にその歌詞に注目していただきたいと思います。その歌詞に神様がどんなお方であるかが必ず書かれています。賛美は、神様を知る、神様に触れる入り口となります。そしてその歌詞に表されている神様は具体的に私たちの生活に関わってくださる神様です。神様がおられるから賛美の楽しさ喜びがあります。賛美を通して、神様を知り、神様に愛されていることを知り、神様を賛美するすばらしさ、楽しさ、麗しさをともに味わっていきたいと願っています。

ハレルヤ。まことに、われらの神にほめ歌を歌うのは良い。まことに楽しく、賛美は麗しい。詩篇147篇1節