じゃがいも、ゆで卵、コーヒー

女の子がお父さんに、自分の人生が嫌なことばっかりでうんざりしていると悩みを相談しました。
すると、お父さんは娘を台所に連れて行って、鍋を三つ取って、水を入れて火にかけました。
水が沸騰すると、一つの鍋にはジャガイモ、もう一つにはたまご、そして最後の鍋には、粗挽きのコーヒー豆を入れました。

15分後、お父さんは、ゆであがったジャガイモを皿にのせ、同じようにゆでたたまごを皿にのせ、コーヒーをカップに注いで言いました。
「なんだかわかる?」
「ジャガイモとゆでたまごとコーヒーでしょ?」
「もうちょっと観察してよ。ジャガイモにさわってみてよ」
「うん、やわらかいけど…」

お父さんは、それから殻をわってゆでたまごを取り出し、香ばしいコーヒーをカップに注いで言いました。
「ジャガイモも、たまごも、コーヒー豆も、熱いお湯の中に入れられて大変だった。
けど、それからそれぞれ違う反応に出たんだ。固くてがっしりしたジャガイモは、ホクホクになった。
薄い殻に包まれ、中身はドロッとしていタマゴは、しっかりと固まった。
それからコーヒーはちょっと変わっているんだ。
自分の中の成分を外に出して、いつの間にか周りの水の色も、味も香りも変えてしまったんだ。」

 お父さんは、きょとんとしている娘に言いました。
「それでお前はどれだ。ジャガイモ?たまご?コーヒー豆?まあ、どれでもいいだろう。
でも煮えたお湯の中に入れられて、3つとも姿を変えたぞ。人生だっていろんな事が起こるだろう。
いろんな変化が押し寄せるだろう。
でも大切なのは外側から何がやってくるかではないんだぞ。
大切なのは、そうした変化を通して、自分の内側がどう変わるかだよ。」

同じ困難でも受け止め方によって変わるんだなあということを教えられます。
ブーブー文句を言うこともできる。あるいは困難を自分に必要な「試練」として受け止め、向き合おうこともできる。
聖書は、試練は神様が与えるものであると言います。
そしてそれを「試練」として積極的に受け止め、喜ぶようにと言います。

その理由は
・神様が守ってくれるので乗り越えられない試練はないから
・試練は私たちを成長させるものだから
・試練によって、同じ試練にいる人を励ますことができるから

私たちは人生の中でいろいろな試練に出会います。
その時、それを人のせいにしたり、怒ったり、悲しんだりすることもできますが、私たちは神様にあって喜んでいきたいと思います。
試練を喜びとして受け止め、試練を通して神様を愛し、人を愛する者に成長させていただきたいと思います。
それでも私たちにとって試練の道を歩むことはたやすいことではないですから、神様に祈りながら、試練を乗り越えていきましょう。
神様は神様に依り頼む者を助けてくださいます。

あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。
神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。
むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
コリント人への手紙10章13節